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ざっくりと、大人と子供の境目は…

アラフォー・ロンリー・ハゲオヤジのくせに子供気分が抜けないという自覚症状ありありなんですが(^_^;)

ここ数日のあれやこれやを思い返して、この漫画を思い出しました。

藤子・F・不二雄「劇画オバQ」


もろに、自分をハカセと重ねてしまうんですよね。他人からの評価はどうか判らないですが。

現実も社会への適応も必要なんだけど、適応するために自分の核になる主義主張を曲げてしまったり、叶えたい理想や夢を諦めてしまったりはなるべく…出来る限り…したくないです。
完全に自分の思うようにってはなる訳は無いし、全く思い通りにならなくて悲観してしまっても人生終わらせる訳にもいきません…そこは現実と理想とのまさに「綱引き」なんだけど(^_^;)

Q太郎は夢破れても、オバケの国に帰るという逃げ道?故郷?ベースがあります。
私は…まあ、ならんかった時になったら改めて考えます。今のところ悠々自適に理想を追いかけ続けてますんでまあご安心…って誰が安心するんだかね~(^O^)/
by mah_dl650 | 2013-06-30 22:21 | 哲学っぽいこと | Comments(0)

口は災いの元、とはよく言ったもので…

何の意味も理由も無く発した言葉が、我が身にそのまま降りかかる。

すなわち「口は災いの元」


ありがち。でも、コトワザになるくらいなのだから、頻出する出来事なのですよね。

特に、他人のちょっとした失敗を笑いのネタに(…可笑しいと思ってるのは当事者以外の人間)したら、それと全く同じかそれ以上の失敗を自ら犯してしまう…よ~くやっちゃいます。私という人間の器の無さと言ったら。
いったい何年生きてるんだ~もう少し失敗から学んで成熟しないといかんじゃろうに(^_^;)


ということで、
本日チェンソーのガイドバーのノーズ破損(参考資料)しました。修理交換費用が約4000円也。

こういった細々とした道具を大事に長く使えるか否かが、少なくとも林業作業員の良し悪し・出来不出来と言っても過言ではありません。出費を抑えて効率的に稼ぐのが商売の基本ですから…

という事を、自戒を込めてしっかり学びましょうね、自分(+o+)
by mah_dl650 | 2013-06-28 21:52 | 日記 | Comments(0)

株?嫌いです(^O^)/

経済っちうもんにそれなりに理解度というか認知度が上がってきて…それでも専門知識なんぞ持っちゃいないんですが、それでも思う事って有るにはあります。

その最たるものが「株」

株式投資、FX、うんたらかんたら…

大っ嫌い。


株式投資をする人間を、それだけが理由で嫌いにはなりません。
ただ、株で儲けたって自慢する人間は、それだけで嫌いになれる気がします。イメージダウンです。

何故って…順を追って説明しますとね…

株式会社って、株主に株を買ってもらった資金を経営に回して、その資金を使って得た利益を株主に還元するというシステム…ですよね?会社にとっての株は「信用度という名の商品」なのですよ。

昨今の金融システム、乱高下だとか秒単位での取引だとか…明らかに扱ってる商品が違う。
投資者にとっての株は「価格の変動に対する掛け札」になってる。

価格変動に対しては、銘柄(株の名義)が確かに影響を及ぼしますけど、
上がった一瞬のうちに一気に売りさばいて差額で儲けたりとか、逆に価値が一時的に下がった状態で大量購入したりとか…明らかにゲームというか悪質な賭け事のツールでしかないように見えるのです。


参加者の資金が、予想の下手な参加者から予想の上手な参加者へと移る、そういうゲーム。
で、ゲームの管理者に管理マージンが入る…

金銭という歪んだ対価システムを使った、ずる賢い人間が甘い汁を吸うギャンブル、じゃないですか???


ギャンブルねぇ…ギャンブルで生活するとか金持ちになるとか、全然憧れない(^_^;)
憧れるどころか、関わりたくない。何処か余所…見聞きしない別世界でやってて貰いたいのが本音なのです。

そんな株式投資を、自慢された日には、はぁ???と…いう事です。いじょーm(__)m
by mah_dl650 | 2013-06-19 23:00 | 哲学っぽいこと | Comments(4)

ただ永く生きながらえれば良いとは、全く思わない。

以前、FBにも登録した記憶があるんだけど(^_^;)

故:藤子・F・不二雄さん…言わずと知れた漫画『ドラえもん』作者…の書いた、私が影響を受けている作品集『SF(すこしふしぎ)短編』のうちの作品の一つ…

『定年退食』(1973年作)



この作品の何が心に残ってるかというと、
年老いた主人公達が、自分達の居場所が無くなっていく事を、否応ながら受領しつつ…
それでも朗らか?!に生きていこうという姿…と言っていいのかどうか…不適切かもしれないけど…


数年前、父が倒れ、介護に少なからず携わり、亡くなる姿を、思い出しつつ、実感として残ったもの。

人間、誰の役にも立たなくなって、自力で生きていく術を失ったならば。
潔く、自分の人生の年貢の納め時が来たとして、未練がましく生きていちゃいけない。生きたくない。

だから、出来る限り、一人の人間として、生きていく力を多く身に付けておきたい。

近所の、もうすぐ90歳に手が届くんじゃないかというおじいちゃん。それでも今年も稲作に励んでます。
今日、会社の山買担当の顧問さま…イメージはマスターヨーダ…が退職の挨拶をされてましたが、まだまだ元気があるみたいです。
通勤時に車を走らせれば、バス通学の子供たちの安全を守るため、近所の老年層の方々が青色パトロールと称して見守り活動をされておられます。労働は出来なくなっても、色々な形で次世代へと想いや命を繋いでいく事は出来るんですよね。

こういう人達を、見習いたいと思うし、誇りに思えるし、自分もそういう風に歳を重ねるのが理想ですよね。
今の暮らしの中で関わる多くの大先輩達は、どなたも、そう簡単に介護されるような柔なお方々では無いようにしか見えません。生きる術を多く持ち、それを高いレベルで平然と淡々と続けていく…都会の過剰な便利さに浸かったヒトタチには無い、生命としての頑丈さを本当に尊敬してます。そう在りたいと思えるのです。


でも一方で、
老人介護がどんどん増えるって…介護はそういった次に繋がる何かを、残すものなんですかね?
本来、人間社会ってのは、主力となるべき…次世代の種を蒔き育て繋げる役割を担っている世代が、一番生き易いように設計され運営されないといけないと思うんですよ。

既に刈取りの時期を終え、朽ちるのを待つだけの人間にとっての快適さを求める社会…何の意味があるの?

今の老人はお金持ち…そりゃ財産をケチって下の世代に移譲しないから、もはや使い道は我が身をキレイに無くするだけにしか使えないだけ。そして管理者が居なくなれば、有っても無くても存在の意味は無い。
独居老人が増えたのは、言っちゃ悪いが、もう誰の役にも立たなくなったって意味ですよ。
本人が望もうがそうでないかに関わらず、必要とされるなら、年齢に関わりなく、誰かが手を差し伸べてます。家族だけでなく、コミュニティ、会社、政治。それまでに歳を重ねて広めた見識があるならば、仮に天涯孤独の身だったとしても、きっと誰かに必要とされてます。
(追記…それでも自力で生きていけるのであればまだ救いがありますが…生活保護もなるべく頼らない姿勢であれば与える価値があるんじゃないか…線引き難しいなぁ…)

そういう境遇に恵まれなかった(かもしれない?)方々が、我が財産の最終消費地として、介護されながら先立たれるというのであれば、それはまだ誰にとっても救いがあるかもしれませんが…
それを国家権力が税金を投入して薄く広く全ての日本国在住者に施すってのは、ナンセンスだというのが、異端たる私の意見でございます。忌避されても仕方ないと思う。

でも、これは弱肉強食じゃない。盛者必衰…生物として、栄えれば衰え滅びる。これはどうしても避けられない。というか、そう在るべきなのです。生物じゃなくても、マテリアルですらその原型を永久に保持し続けるのは困難です。いつかは風化して別の姿形になるもんです。避けうるとしたら、人間じゃなくて神になるしかない。神という概念すら極論すれば人間の空想ですからね。。。


コトバ遊びが過ぎましたね(^_^;)


ま、これだけ書いて、私が言いたい事は詰まる所…
死ぬまで、自分が何かしら現役で居たい。自我を無くしてまで生きるくらいなら、死にます。って事です。
そして、自我を無くしてまで生きる姿も、生かそうとする姿勢も、人間の自己満足や建前論を満たすだけの無意味な行動だな~と考えてる、って事…だな、きっと。

これで益々嫌われる…かも…ハハハ、もういいや(-_-)zzz
by mah_dl650 | 2013-06-01 21:46 | 考え中 | Comments(5)