言葉に、魂は、乗る

『言霊(ことだま)』って言葉がありますよね。

自分の中に抱えたままの思いを表に出す方法は『言葉にして伝える』『文章にして書き記す』などありますが、いずれにしても一度そういった方法で表に出した『思い』には、その人の主張や思惑といった『魂』がどうしても入ってしまうと思うんですよ。

何で『魂』なんて大げさと思える表現を使うのかといいますと…ほんの偶にありません?憎悪を込めた誰かの悪口を陰で、それも誰に言ったわけでもなく独りで居る時に言った後…別に本当に望んだわけでは無いのにその人に災厄が降りかかるって事が。いや、ほんの偶にですがね。

逆に、私はよく作業中にやるんですが…切り倒すのに難儀な木や歩こうとしても行く手を遮る藪や大ザサに対して憎悪に近い感情を込めて「邪魔するな~」「ふざけるなよ~」「いい加減にしろ~」なんてわめき散らすんです。
そうすると…逆に倒した木が自分の方に向かってきたり、藪の中に紛れていたツルに足を取られたり、イノシシの穴にはまってしまったり。まるで自分の邪心を見透かされてちょっとした罰を受けたように感じてしまいます。

今日の宴会で、自分が何気なしに話した会話から私の考えを察してくれたり、私が無茶振りに近い相談事に対して恨み言を言わずに考えて返答した事を判ってくれていたりした事が多少なりとも判りまして、やっぱり言うべき事は言うべきだし逆に言ってはいけない事は寸分も表に出してはいけないモノなのかな、と。


ちょっと話は違うかもしれませんが、
私の好きな映画『ココニイルコト』の中で、こんなニュアンスの台詞があったような気がします…昔観たっきりなので合っているかどうか判りませんが。。。

 『願いが叶うとは限らないけど、願わないと叶わない』

これって共感するんですよね。願ったって無理かもしれない…でも願わないモノは『願い』でも何でも無くて、『思い』でしかない。『思い』が現実になったとしても、それは『叶った』とは言わない。単にそうなったってだけ。

『思い』を『叶える』ためには、まず『願う』。
願いは、自分の心に留めておくものではなくて、言葉なり文章なりで表現するもの。
そうする事によって願いに自分の『魂』が乗り移って、それが純粋な願いであれば神様がほんの気まぐれで偶に叶えてくれ、逆に邪なものであれば罰を与えるモノ…そう思います。

そして大事なのは、願いが叶う事よりも…願うという純粋な思いを表すという事なんだと。
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by mah_dl650 | 2007-01-13 01:00 | 日記 | Comments(0)


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