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タマシイを入れるのは、作り手よりも使い手だと思う。

「仏作って魂入れず」ってコトワザがありますが。

今日は、それはちょっと違うかもとふと思った次第で、家事の手を休めてコトバにしてみました(^_^;)


それは朝見たある番組で、件の橋本大阪市長がそういう流れの話をしてたのが頭に残ったからで。
(思い違いがあっても自分の頭の中で都合よく整理した話だからご容赦ですが)
確か、1つ目は…憲法改正の議論ばかりで、実際改憲するためには法律上の手続きが不可能に近い条件になっている。それが議論が遅々として進まない要因だ…だから改憲するための手続きを実現可能な条件に改める。そうすれば改憲の議論も実現に進むだろう…
2つ目は…石原元東京都知事の主張する憲法破棄には反対だ…法律は政治家を暴走させないためのものだ。仮に自分の主張や理想に合わないと憲法破棄が実現してしまうと、新たな憲法をまた気に入らないと別の政治家が同じように破棄してしまうだろう、それでは法律が政治家の暴走を止められなくなる…

そして、政治家は政策を実現するための法律を作るのであって、政策の実現は法律に従った行政の運用に依る…こんな感じだったかな…???

これには納得してかつもっともだと思った次第でして。


それで、一番最初のコトワザが浮かんだ次第。
「仏作って魂入れず」ってのは、立派な仏様(仏像)を作る事に対してのことわざ。
だけど、いくら立派な仏様を作ったところで、仏様を拝む人が居なければ、仏像の価値はありません。
更に、たとえばコケシ大の立派な仏様を作ったとしましょう…それを拝む人の心を癒してくれるかもしれません。けれど、もしかしたら身体も。使いようによっては凶器にもなる。漬物石の代わりに使われるかもしれない。はたまた薪としてくべられてこの世から消えてなくなるかも…

別に例を挙げると、立派な高級自動車を丹精込めて作ったところで、それをモニュメントとして飾るのか、ラリー仕様として泥だらけのボロボロにするのか、鉄の塊として人をひき殺したり、どこかの国だったらドッカーン…なんて事もあるかもしれない。


どんなに製作者が立派な志を持って全身全霊で作ったモノであっても。
それを使うヒトが、どんな考えでどういう使い方をするか…それでモノの本当の価値は決まるのだと。(^_^;)

モノ…それが製造物なのか、法律などのルールなのか、大なり小なりのイベント、農作物…当てはまるものは色々あると思いますが。
法律を悪用して、他人に不義理を働いて悪銭を稼ぐ輩もいる。観光客を呼び込もうと色々な催し物を企画してはみるものの、それが企画者側の自己満足で終わってヒトが集まらなかったりする。沢山作った農作物も、市場で売れないからという理由で大量に廃棄されたりする。

それも、ヒトの使いようで、いくらでも何とでもなるものなんだと。
大切なのは…

結局のところ、どんなものであっても、それを使おうとする側の人間の質や姿勢、信念、行動に掛かってる(-_-)

そういう事なんじゃないかな、と。
最近、個人個人が情報発信する手段がネットを中心にたくさん増えて、そのネットには掃き溜めのような罵詈雑言が探す気になれば…それこそ漆黒というか暗黒というかどす黒いというか、果てしなく溢れてきます。

こういう風潮がね。気に入らないのですよ。
一人一人が我が身を省みて襟を正そうとしないで、出来もしない事を判ろうともしないまま遥か遠くの自分の身に被害が及ばない場所から、悪態をついて他人をけなして貶める。。。

他人をどうこう言うほどの見識も資格も私は持っちゃいませんが。
それでも、自分を省みて、せめてそれなりにタマシイを込めたモノの使い方が出来るよう、在りたいですね(^_^;)

そして、モノに宿る魂なんかより、生身の人間に宿るタマシイをもっと大事にしたいな。
独りより二人、三人、そして沢山の人…タマシイのある人間が集まれば、出来ない事なんて無いと信じたい(^○^)


…と、いつもの戯言でした。失礼m(__)m
by mah_dl650 | 2012-11-03 23:54 | 日記


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